北九州市議会 2021-03-26 03月26日-10号
八幡市民会館、そして、城野遺跡の保存運動に取り組む市民が、市長への要望書や議会への請願、陳情を繰り返し行っています。ドコモモジャパンと日本考古学協会といういずれも我が国を代表する専門家集団が、この市民要望を後押しし、本市の文化財行政を注視していることを忘れてはなりません。 次に、市民の命と健康に関わる重要な事業である国民健康保険と介護保険について述べます。
八幡市民会館、そして、城野遺跡の保存運動に取り組む市民が、市長への要望書や議会への請願、陳情を繰り返し行っています。ドコモモジャパンと日本考古学協会といういずれも我が国を代表する専門家集団が、この市民要望を後押しし、本市の文化財行政を注視していることを忘れてはなりません。 次に、市民の命と健康に関わる重要な事業である国民健康保険と介護保険について述べます。
一部には保存運動を行っている方々もいて心強いが、ただ、中には市を非難するだけの向きもあるという。市庁舎に係る現在と未来にかかる費用のことなど考えるのは行政で、自分たちではないとの発言さえあると仄聞したが、そんな無責任なことで残せるはずなどない。無関心と無責任はともに市庁舎を取り壊しへと導くだけである。それはつまり、大牟田市のみんなが取り壊しを選択したということになる。
市民や関係者とは、保存運動をしてきた市民。それから、関係者とは、これも保存運動、それから専門家という理解でよろしいでしょうか。 ○副議長(岡本義之君) 企画調整局長。 ◎企画調整局長(大下徳裕君) 済いません。答弁の前に、先ほどの答弁の修正をさせてください。
そのときに、「ああ、そうしたら、青木繁の生家の保存運動が今寄附を、募金をしよるから、それに対して寄附をしたらどうね」という話をしました。その友人は、それに対して寄附をいたしました。
それが実は小倉陸軍造兵廠があって、西日本最大の兵器工場があったと、そういうことがきちっとはっきりされていなかった、その中で給水塔保存運動だとか平和資料館をつくる運動をやってきたんですけども、やはり後世にきちんと戦争の悲惨さ、平和のとうとさを伝えていく上にも、きちんとしたコンセプトと同時に、やっぱりそういう戦争の加害と被害の両面ですね、きちんとやっぱり展示をしていく、このことが大事だと思いますので、強
だけども、一部の方が熱心に保存運動をやられているということも、私は認識をしておりました。ですから彼らと話し合った末に、彼らは、自分らは一定の場所に移すために募金活動をやると。足りない部分は、行政が補ってくれというような話がまずございました。それは何度も言いますけれども、市民会館の解体運動とは別の次元で起きてきた問題です。
東京駅赤れんが駅舎の保存運動にかかわった方々より、保存を求めて市長に要望書が送付されています。文化庁の調査が終わらないうちに、本市ゆかりの著名な建築家、村野藤吾氏が設計した八幡図書館を壊しては取り返しがつきません。少なくとも解体は調査完了まで延期すべきであります。答弁を求めます。 第4に、子供の医療費助成について尋ねます。
大牟田市におきましても、この三井港倶楽部の保存運動を契機として、大牟田市近代化遺産保存活用基金を設置をいたしましたところ、広く企業の皆様や市民の方々から御寄附等をいただいたところでございます。その後、港倶楽部保存会のほうからの申請に基づきまして、審査会等を経て、同基金から建物等の修理費用等の補助などの支援をこれまで行ってきたところでございます。
まず1点目に、市民からの保存を望む署名や保存運動が起こっていますが、今までの経緯について、まずお伺いいたしたいと思います。よろしくお願いいたします。 ○中心市街地整備振興課長(本浪章生) 署名や保存運動の経緯ということでございます。
ただ、一部の市民からは保存運動が起きているということでした。 そのような市民から非常に愛着を持たれている建物でも、行政がきっちりと閉館を決意したことが重要であると考えます。
その後、駅舎保存運動の動きもあったことから、新聞各社が一斉に計画を取り上げましたので、ある意味周知も浸透したのではないかと考えておりますし、また、9月1日の市報でも特集を載せております。この一連の流れの中で計画への反対はわずかであったと思っておりますし、この計画は市民に納得していただいているものと考えております。
ここに至るには旧小倉陸軍造兵廠給水塔の保存運動や、平和資料館の設置を求める市民運動が大きな力となりました。我が党もこれらの運動と連携して本市の平和事業の充実のために力を尽くしてきました。前市長の時代から繰り返し非核平和都市宣言を行うよう求め、北橋市長に対しても同様に、3月議会に続いて6月議会でも非核平和都市宣言を求め、今議会は平和市長会への出席を求めたところであります。
近現代の建築物や戦跡、 遺跡の調査や保存を推進しています。 小倉北区は、 広島に続いて原爆投下の予定地であったとともに、 女子学生を含む5万人の住民が働いた小倉陸軍造兵廠も存在していました。 市長も、 原爆犠牲者慰霊式典で、 風化しつつある戦争の惨禍を忘れることのないように、 昨年8月に、 小倉北区に戦時資料展示コーナーを新設したと述べています。 私は、 1995年から旧小倉陸軍造兵廠に残る給水塔保存運動
◆3番(丸山真智子君) 志鉱跡地委員会で今回視察に行きまして、宇部石炭記念館に行かせていただきましたけれども、それで私が一番印象に残ったのは、あれの保存運動の中で県とか市とか及び石炭関係者を初め多くの市民の方たちが、あれの保存をするに当たって総力を挙げて寄附金を出してあるんですね。それが表示してあったんですけれども、それくらいの盛り上がりの中で保存が行われております。
そこを代表する建物でもある旧古河鉱業若松ビルが、つい最近、区民を中心とした募金活動など保存運動もあってリニューアルされ、予想以上に市民に活用されています。海岸通りの整備も進み、晴れた日などは空の青さに赤い若戸大橋が映え、海がきらきら光って、それは美しく、訪ねるところが旧古河鉱業若松ビルだけではもったいない気がいたします。
そこで、次に竪坑櫓の問題について入りますが、学会の保存運動が非常に激しくなってきております。
、 戦後57年を経た今、 かつてなく高まっています。 小倉造兵廠が原爆投下の標的にされ、 天候によって原爆は免れたとはいえ、 八幡空襲、 小倉造兵廠への爆撃によって幾多の命が奪われました。 国際テロを契機に有事法制が国会で論議され、 我が国を再び戦争をする国へ逆戻りさせてはならない、 平和を実現したいという市民の自覚と責任感は極めて強いものがあります。 本市では、 市民によって旧造兵廠の給水塔の保存運動
中津街道沿いの地区では、これまでも民間団体を中心にいたしまして、歴史を掘り起こし、将来の発展を考えようという視点から、中津街道の歴史に関する保存運動の機運が盛り上がっているところでございます。
歴史・自然公園という方向づけのもとで、それにふさわしい学識者、長野の保存運動にかかわり深い市民団体、本市教育委員会学芸員などの専門家、市民代表を加え、市民に開かれた見直し委員会とすることを求めます。答弁を求めます。 第2に、広域公園として人が集まり憩える場をつくる工夫について提案します。